現在の女王

〜ElizabetU〜

エリザベス二世(在位1952〜)

イギリスの君主として63代目、6人目の女王であるエリザベス2世は、故ジョージ6世の第1王女として1926年4月21日に生まれた。
 1947年11月20日フィリップ・マウントバッテン大尉(エディンバラ公)と結婚。1952年父王の死去により王位継承を宣誓、1953年6月2日、ウェストミンスター寺院で壮麗な戴冠式が行われた。このときには、当時の地球人口の4分の1が祝ったと言われている。女王が元首・統合の象徴であるコモンウェルスの国々は計6億5000万人を擁していた。 
 それから45年。女王は依然、コモンウェルス15カ国の元首ではあるが、王室の威信は大きく揺らいでいる。 
 オーストラリアは、エリザベス2世を元首とする立憲君主制から共和制への移行に向かっている。2000年のオリンピックがシドニーで開催されることが決まって以来、五輪開会式に、エリザベス2世が元首として出席し開会を宣言するのかどうかをめぐって、イギリスとオーストラリアで論議が起きた。1956年メルボルン五輪ではエディンバラ公が行った。

 

エリザベス二世の外交

エリザベス2世の外国訪問は、ときに大きな話題を呼ぶ。 
 1975年5月には、イギリス元首として初めて来日している。1986年10月には中国を、1994年にはロシアを、1995年には南アフリカを、それぞれ訪問している。 
 1995年11月には、コモンウェルス首脳会議出席などのためニュージーランドを訪問したが、この際、入植初期の19世紀にイギリス側が北島居住のマオリから武力で奪った土地について、約1万6000ヘクタールの返還と1億7000万ニュージーランドドルの補償を盛り込んだ法案に署名した。この法案は、旧大英帝国の植民地支配をめぐる初の「謝罪」と受け取られた。 
 エリザベス2世の外交が友好関係の強化に貢献することもあるが、全く裏腹の結果をもたせすこともある。特に、かつての保護者という尊大な立場を感じさせるとき、反英感情を強く刺激する。 
 例えば1997年10月に、エリザベス2世はパキスタン訪問に続きインドを訪問したが、このときにはトラブル続きで酷い結果に終わっている。 
 女王はパキスタン国会演説の中で、インド・パキスタン間のカシミール領有権問題を念頭に「歴史的な見解の相違」を終わらせる努力を両国に呼び掛けた。また、女王に同行しているクック外相がパキスタン指導部との会談でカシミール問題の仲介の用意を示したとパキスタン側が報じたため、カシミール問題を国内問題とするインド側を刺激した。これに対して、インド紙は「イギリスは3流国家」というグジュラル首相の発言を報じた。そればかりか、アムリツァル(1919年のイギリス軍によるインド民衆虐殺事件の現場)訪問では、女王の晩餐会演説が「謝罪に至っていない」と、強い反発を招いた。 
 こうした結果、10月16日にマドラスで開かれた晩餐会の席で、予定されていた女王のスピーチがインドの儀礼上の理由で中止になったほどである。